将来を見据えて

農業をしたいというけれど、そこでは栽培方法、栽培品種、販売方法、加工など多くの選択肢があります。

そして、自分がこうしたいという想いがあるならば、その想いに沿う形で研修ができる農家さんのもとで学ぶのが一番近道になるかと思います。

また、慣行栽培、有機栽培、自然農法と方法ならたくさんありますが、自分がどういう想いで作物を作っているのか。という信念のようなものをもつことも大事だと思っています。

 

ですが、食にアンテナを張っていなければ、その食べ物がどこでどんな風に育って、だれがどんな想いで育てているかなんてわからないし、分かる必要もないといわれればそれまでだとも思う。

けれど、やっぱり農業をするなら消費者に安全で安心な食べ物を届けたいと考えています。

農薬がよくないとか化学肥料がよくないとかそれを言うことは自由だけれど、そこに食べられるものがあること自体は善だと思うし、そういう答えの出ないようなところから脱して自分が納得できる農業をしてかつ喜んで食べてくれる消費者がいたらそれでいいのにと思っています。

そう考えつつも現時点で慣行栽培をしている農家で働いてはいますが、自分の将来を見据えた時、農薬や化学肥料を使って作物を作っていること、消費者の顔が見えず大企業のための大規模農業をしていること自体に納得していない自分もいます。

想いとは逆のことをしていて、ならば自分が想う生き方に沿った道の先を歩む人のもとで学べばいいじゃないかと自問自答している時間が多々あります。

なにも慣行農家のことを全否定してのことではないですが、あくまでも自分がどうしたいかを考えた時にいまここにいることの先に未来がかすんで見えてきてしまいます。

それでもいまここで踏ん張りながらやっていこうと思えるのは、逆境から目を背けるのではなく、そこから這い出すために知恵を絞りだすことに意味を見出しているからです。

逃避的な考えは横によけてしまって、現実を直視するところから始めたい。

今自分がどんな環境に居ても、こうしたいという想いや希望があるならば、それは我慢しなくてもいい。

積極的に声に出していけばいい。どんなところでチャンスが舞い込んでくるかなんて誰にもわからないから。自分はいまそういう想いで1日1日を過ごしている。